墨子 2004 1 20
中国の古代の思想家に、墨子という人がいます。
墨子の思想は、大きく分けて、2つの特徴があります。
「兼愛」と「非攻」です。
「兼愛」とは、新聞記事によれば、
「他人を差別なく愛すること」です。
さらに、「兼愛」について、詳しく言えば
兼愛とは、家族、社会、国家という概念をはずして、
あらゆる人を、無差別かつ平等に愛することです。
この「無差別かつ平等」な人間愛が、墨子の考える「愛」です。
墨子は、「愛」に濃淡があってはいけないと考えました。
従来からあった、
「家族愛を発展させ、次に、社会に対する愛へ、
そして、国家に対する愛へと発展させる」という愛ではありません。
すべての人を、無差別に、平等に愛するという「愛」だったのです。
これは、イエスキリストの考える「愛」に近いのです。
次に、有名なのが、「非攻」です。
この「兼愛」を発展させれば、当然に、「非攻」となります。
ここは、学者の和田武司氏の訳を使います。
「人ひとりを殺せば、不義であるとして、
必ず死刑に処せられる。
もし、この論理に従うとすれば、
人を十人殺したときには、不義を十回犯したのであるから、
十回死刑に処すべきである。
こういう犯罪については、天下の君子は、
いずれも、これを非難し、不義と認める。
ところが、他国侵略という大きな不義については、
非難しようとしない。
それどころか、かえって、これを「義」とみなしている。
これが、いまの君子である。
かれらは、義と不義との区別をあいまいにしている。」
「人ひとりを殺した男は死刑となる。
だが、百万人を殺した将軍は、かえって英雄として絶賛をあびる。
この矛盾を黙って見過ごしてよいのか。
こうして、墨子は、戦争が本質的に殺人行為であることを論証し、
戦争こそが、最大の不義であることを力説する。」
以上です。
墨子について、もう少し補足しておきます。
墨子は、世の中が乱れるのは、
人々に、愛の心が足りないと説き、
人々が、互いに愛し合い、
そして、自分の利益ばかり考えないで、
広い心を持って、
他人の利益も考えられるようになれば、
天の国が、地上に出現し、
世界は平和になると説いたのです。
戦争を否定し、勤倹節用の生活を説いたのです。
墨子の「墨」とは、姓ではなく、
大工の墨縄という道具から由来していると言われます。
墨子は、大工をはじめとした当時の手工業者集団の指導的立場にありました。
儒教が、愛というものを、
近い人から遠い人に及ぼすと考えたのに対して、
墨子は、すべての人を、平等に愛しなさいという博愛主義を説いたのです。